家族経営 | アットホームの落とし穴

アットホームな雰囲気

和気あいあい

 

などと謳っている家族経営の会社を見たことある人も多いはず。

 

確かに気心の知れた仲間同士楽しく仕事できるなら一番良いがそうはならないのが現実だ。

 

コミュニケーションという名の免罪符片手にプライベートなことを根掘り葉掘り聞いてきてくることに抵抗がない。

 

また、会社内でも自分の家と変わらないので仕事とプライベートが混ざってしまっており、正気を疑うような幼稚な癇癪を起こすことに恥ずかしさすらないように思う。

 

まるで子供が保母さんにただをこねるようにわめき散らすその姿を見て可哀想に思うと共に、これが自分の会社のトップかと嘆きたくなる思いだ。

 

狭い世界に閉じ籠って生きていたせいか、それが世間の当たり前でありそうするのが絶対に正しいと思い込んでいる。

 

これは田舎の家族経営に多く、昔からの付き合いのあるお客さんと家族の中だけに通用する常識をさも世間の常識であるかのように語るその姿はなんと憐れなことか。

 

一歩、その範囲から出ようもんなら一時かからず狂ってしまうのではないかと想像するに容易い。

 

この人の人生は退化の一途を辿るばかりである。

人間関係に正解はない

人間関係は歳を重ねるごとに複雑になっていく。

 

これは知り合いの数が増えるからとか部下ができるからとか、そういった外から見て分かるような物理的なことではなく、もっと内面的な話だ。

 

人間関係は本来自由なはずなのに、人生経験を積めば積むほどに制限がついてくるような気がする。

 

色々な常識を学び色々な立場を経験し、その都度相手のことを考えて行動する。広い視野で考えたり、時には視野を狭くして考える。

 

こういったことを続けていると物事に正しいことや間違っていると言い切れることなんてないのだと気づいてくる。

 

有名な話で、

お腹を空かせた人がいて、あなたは魚釣りが得意だ。あなたならどうする?

という問題がある。

 

魚を釣って食べさせてあげると答えると、不正解。

正解は魚の釣り方を教えてあげる、だ。

釣って与えてしまっては食べたら終わり。だけど釣り方を教えてあげれば自分で釣って何度でも食べることができる。

 

 

やってあげるよりもやり方を教えた方が相手のためになる。

 

確かに正しい。

 

しかし、これに状況や環境を加えていくとどうだろうか。

 

仕事で後輩から質問されたとしよう。

答えを教えてやるだけだったら頭に残りにくいので

それに至った経緯だとかコツだとかを教えることにした。

 

しかし、後輩はたまたま自分の担当外の仕事を受けてしまっただけであり、今後使うことのない知識だ。

更に先方を待たせており時間がなく、とりあえず答えだけを知りたい。

けれども後輩は先輩がせっかく自分ために教えてくれるのだと考え、状況を言い出せなくなって結局先方を待たせてしまった。

 

これならどうだろうか。

 

 

「先輩は状況を把握した上で後輩に教えてやるべきだった」

 

とか

 

「後輩はすぐに状況を言うべきだった」

 

とか意見が出てきそうだが、

もしかしたら後輩は

 

「一見の先方よりもずっと一緒に仕事しなければならない先輩を優先しよう」

 

と考えていたり

 

「先輩も状況がわかっているはずだからすぐに切り上げてくれるはず」

 

などと考えいたら今更言える雰囲気ではなくなったとか

 

そういったことも考えられる。

 

どれも見方によっては正しいようであり間違っているようでもある。

 

もっと言えば、「客なんか待たせとけば良い」という考えが先輩にあったとしたら後輩が指摘することが気に入らなくて今後の仕事に差し支えるかもしれない

と後輩が考えていた可能性もある。

 

更にいうと、社長はお客様を大事にしているとしたら先輩よりも会社の方針を決める社長の意見を優先させた方がいいかもしれないし、

会社方針よりも自分のことひいては自分の家族のことを考えるとめったに会わない社長よりも常に一緒に働く先輩を優先すべきかもしれない。

 

 

ここまで考えると何が正解なのかわからない。

いっそ何も考えない方がマシなほどだ。

 

そう考え何も考えないよう心がけて行動すると、

あえて気づかないフリをしているだけなのにあの人は自分勝手だとか周りを見ていないだとか言われることもある。

 

若い頃ならシンプルに自分が正しいと思った方向に全力を注げばよかったのだが、

人生経験を積んでいくと正しいとか間違っているとか普通とかおかしいとか、これらは単なる主観であり、

どの方向から見るか、そして誰の立場まで考えて行動するかで答えが変わることがわかってしまう。

 

そのため、情報量が多すぎて瞬時に反応できなかったりする。

 

考えてもムダなことは考えないというのも一つ答えだが、

どうしても考えてしまう私としては、悶々とした毎日を過ごしている。